ずっと昔、まわりを高い山々に囲まれた甲斐の国は、一面
広くて深い湖でした。
その水辺に住む人々は、せまい土地を耕して、貧しい生活をしていました。
この湖が引いて、広い土地に住めたらなぁ---
人々はそんな夢のようなことを考えては、溜息をつくのでした。
そんなとき大和(奈良県)では、神様たちが、甲斐の湖を切り開いて、
広い土地にする相談をしましたが、 とてもそんなことはできないとう意見が強く、
みんな諦めかけていました。
するとそのとき
「甲斐の湖を、私が切り開きましょう」
ずっとだまっていた向山土本毘古王(むこうやまともひこおう)が、
きっと頭を上げて神様たちを見回しました。
「どのようにして切り開くのですか?」神様たちが聞くと、
「まあ、私におまかせください」
そう言って王は、多くの家来を従え、山深い甲斐の国へ出かけて行きました。
そして、着いた曽根の丘から湖を眺めました。
「こんな大きい湖の、どこを切り開くのですか?」と言う家来の問いには答えないで、王は
「皆の者、すぐに筏(いかだ)を組め」そう命じました。
家来たちは梨の木を切って、筏を作って湖面に浮かべました。その筏に乗った王の一行は、
あちらこちらと切り開く口を探しまわりましたが、なかなか良い場所がみつかりません。
ある朝、曽根の山々はにわかに黒雲に覆われ、湖の向こうの八ヶ岳まで
濃い霧に包まれ、視界がさえぎられてしまいました。
「筏を出せ!」きびしい顔で命令する王に
「危険ですからおやめください」と、侍女(じじょ)までが反対しました。
「今日はきっと何かが起こる。私の心にお告げがあった。筏を出すのだ!」
と王は再び大声で命令したので、王や家来を乗せた筏は、湖の彼方に消えていきました。
「あれは何だ!?」
家来の一人が指さす方から、渦を巻きながら怪物がこちらに向かってきます。
そしてあれよあれよという間に、王の乗った筏をぐんぐん引きはじめたのです。
「これこそお告げのあった大亀だ!」と王は叫びました。
大亀に引かれた筏は、湖の南に進み、一時間もすると、目の前に大きな二つの
山が重なり合った谷間に筏を引き込んで、大亀の姿はどこへともなく消えてしまいました。
やがて大粒の雨が降りはじめ、風が筏を揺さぶって、筏は岸に着きました。
「ここだ!湖を切り開くのはここだ!」
王は興奮して叫び、家来たちも「おうー!」と声をあげて喜び合いました。
そうして岸辺に近い天戸の大地に仮御殿が建てられ、工事がはじまりました。
一つ向こうの小高い丘には、水位をながめる国見御殿も建てられました。
やがて甲斐の湖は、水が引けて広い肥沃の土地に変わり、人々もそこに移り住んで、
新しい甲斐の国が生まれました。
いまも禹の瀬近くには、天戸と国見平という地区があって、
土本毘古王は富士川町(旧:鰍沢町)鬼島の地にまつられています。 |